内藤まろの、ごくありふれた日常

なにものも批判しない。なにものも肯定しない。ただ、現象だけをつづります。

迷える日本人へ。

それまでも、帰宅するたびに無言電話がかかってきたり、ゴミ出しにいくとそこに排出されたばかりの大便が置いてあったり(汚くてすいませんw)、目つきの危ない集団がテニスコートにつきまとってきたり(カメラを設置すると、なぜか消え失せる)、変なことが続いていたのが、2014年の末頃からその頻度があからさまになり、絶対になにかがおかしいなあと感じていたら、2015年3月、妻の長期出張のタイミングで、ついにその正体が姿を現しました。この日のために、向こうは、それは緻密にシナリオを練ってきたようです。

 

正直、あまりに、滑稽で、馬鹿げていると思いました。周囲の人間関係を含めて、その数年間の生活の全てが、そこまでの伏線だったのですから。つまりは、親しかった友人、知人も、マンションの住人も、託児所も、保育園も、役所も、ベビーシッターも、全部、作戦の一部だったわけです。信者やその関係者だったわけです。こっちは、妻も自分も二人とも、あまり疑いなく生きてきたので、内藤まろさん、まろさんとのせられ、それに従っているうちに、周囲が、どんどん、そっちの人脈で占められていったわけです。

 そして、最大の間違いが引っ越しでした。まさか、やっとの思いで買った家が、相手の巣の中だったとは、誰が思うでしょう。

 

ぞっとしたのは、全ての家から監視(同時に盗聴)されていることでした。しかし、今にして思えば、住人全体が監視しあっていたのでしょう。噂にきく監視国家のようだなと。

不動産屋にすすめられた建築メーカーの担当が、その手先だったとは、誰が想像しえたでしょう。

 

正直、夢でも見ているのかと思いました。(夢だったら、どれだけましでしょう)現実の世界が、こんなことになっていたなんて。

震えながら、一方で、なんて贅沢な人的資源の無駄遣いだ、と冷めた目でも見ていました。1万人くらいのマスゲームまたはフラッシュロブとでもいいましょうか。配役分担と、それぞれの役割、行動パターン(ヘボ役者ですが)が、細かく決められています。おそらく、一人ではこんなプラン誰も思いもつかないでしょう。そして、誰も全体のプランなど掌握していなかったでしょう。そうです。全体像が見れたのは、僕一人。その攻撃の対象たる鑑賞者は、僕一人だったのですから。

 

千葉は、数万人規模の旅一座、といった趣だったでしょうか。いちいちが、大袈裟で、芝居がかっていました。ケータイショップやコンビニ、居酒屋などでは、それは面白い光景が見受けられました。かわいそうなのは、ごく普通の子供たちでした。はあと俯き、大きなため息をつく女の子、混乱し天を仰ぐ男の子、そんな子どもたちの姿が忘れられません。やりたくなかったのでしょう。幼稚園児くらいだと善悪の判断がまだ純粋ですからね。

 

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   かつてない体験とはいえ、ロボトミーみたいな一匹、一匹に、ときには群として対峙しなくてはならないわけですから、ゾンビ映画の拡張シュミレーション、心理的状態としては、戦時中の状態を、この現代で味わえる、といった趣でしょうか。違うのは、本来ならあるはずの救援体制(公共や郵便、交通など)が一時的に機能しなくなると錯覚させられること、味方が最初は一人もいない(本人以外には、見えづらい)ことでしょうか。。

 

その日以来、基本、110番と生活安全課は、心からは信用していません。それと、病院はなにをされるかわからない可能性のある場だと認識を改めました。もちろん、殆どの警察官と、医者は、信頼に足りうると、思ってもいます。

 

 

 

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これは、21世紀初頭の、リアルな日本の姿ですよ。